9月公開のイタリア映画、邦題「カプチーノはお熱いうちに」がひどいと話題である。
内容がひどいのではない。日本語版のタイトルの話だ。
映画の中身の字幕の意訳がひどいっていうのは、ネット上でもよく聞く話。
これは、基本的には翻訳者の問題なはずだが、タイトルの場合はどうだろうか?
Content
映画の日本語タイトルが原題と全然違う
邦題:カプチーノはお熱いうちに
これって、タイトルからは、おちゃめ系ラブコメを想像しないだろうか?
原題:Allacciate le cinture シートベルトを締めて
全く違うけど・・・・何かしらの要素を受け継いでるんだろうか?とりあえず、あらすじを見てみることにする。
ストーリーの舞台はイタリア南部のレッチェ。主人公はエレナというバールのウェイトレス。彼女が友達とお店を開いたり、親友の彼氏に恋をしたり、結婚して家族を持ったりと充実した人生を送っているところへ、胸の腫瘍が見つかる。それにどうやって彼女が向き合うか、周りの人達と向き合うか・・・そういうお話みたいです。
そして、タイトルの意味はこんなところにあるそうです。
“Nella vita tutti prima o poi incontriamo una turbolenza e dobbiamo allacciare le cinture.”
「全ての人は人生において、いつか乱気流に突入する。だから、しっかりとシートベルトを締めて臨まなければならない。」
うーん、ストーリーは結構重みがある。個人的には、邦題「カプチーノはお熱いうちに」だとバカ映画みたいで見る気が全くしなかったが、あらすじ読んで、映画館へ行きたくなった。テーマも良いと思うけど、友人関係、恋愛関係の設定がリアルに感じる。
そう考えると、ますますこの邦題の失敗加減が悔やまれる。原題の意を全く汲んでいない。このタイトルを聞くと、ジュリアロバーツの祈って恋してなんちゃらって映画と同類だと思ってしまうもの。
誰が日本語のタイトルをつけるのか?
さて、こういう意訳とも言えないような邦題がつけられることは珍しくない。
それは映画だけの話ではなく、日本に入ってくる洋楽なども(特に昔は)そうだろう。
翻訳者が・・・というより、こういうのはレーベル側のPR担当が考えることだろう。
映画のタイトルも同じように配給会社の「商業的な視点」とされるものが軸になっているのではないかと。
配給会社が決める!翻訳者は無視の例
私には、イタリアで日本のアニメのアフレコ翻訳でディレクターをしている友人が居る。
千と千尋の神隠しの翻訳に際して、タイトルは翻訳とは似ても似つかぬものに映画配給会社にされてしまった。
元々の訳はLa Sparizione di Chihiro e Sen (千と千尋の失踪)
そして実際につけられたイタリア語タイトルは
不思議の町、魅惑の町・・・みたいな感じ。
多分、子供がたくさん来そうなタイトルにしたかったんだろうな。
こういうケースって、結構多いんじゃないか?
タイトル自体は、完全に原題とは切り離してつけている。
もちろん、それで成功してる例もあるだろう。
理由はマーケティング バズるタイトルためには意味も変える
たとえば、D.カーネギーの著書「人を動かす」の原題は ”How to win friends and influence people” (友達を勝ち得て、人に影響を及ぼす方法)。本の内容に、”win friends”の部分は無い。表面上取り繕った知り合いを作る方法、そして彼らを自分の意図通りに動かす方法が書かれているので、邦題の方がしっくり来る。
しかし、本編や原題とかけ離れたタイトルをつける際には吟味をして欲しい。あくまで、映画の雰囲気を彷彿とさせるものか、なにかキーとなるメッセージが隠れているとか・・・
結論:消費者が頭良くならないとダメ
アホな邦題がついてしまう、つけてしまう背景には、マーケティングPR部隊の無能さもあるだろうが、受ける側であるパブリックのレベルの低さも無関係ではないだろう。
要するに、イタリアのバールで働く主人公=カプチーノ。受けるに決まってる!みたいな・・・
そんなので見に行きたいと思う層を相手にしているということだし、その層が厚いということ。
少なくとも読みは、その層が厚いというところなのだから。