耳栓の効果があり、手術後の夜は音に悩まされることもなかった。痛みと微熱は続いていたので、熟睡するには至らず。
円錐切除の翌日 。朝は食事再開。点滴だけだった手術当日は、常に空腹感があったからか、朝ご飯を食べおわっても味的にはもちろん、量も物足りない。母が持ってきてくれていたフルーツを完食。食べ物を好きなように好きなだけ味わえる幸せを再認識する。
8:50からは退院前の診察があるというコトで外来のほうに降りて行った。
内診では、詰めてあったガーゼのようなものを抜く。「問題ないですね。動脈を縛ってあるから大きく出血する心配もないでしょう。」(18日後に、その動脈が切れて大量出血&貧血になるのだけど。)
結果が出るのは7月最後の週くらいとの事だった。ここでの結果がどうであれ、別のところへ行く。結果を聞きに来る意味があるように私には思えなかった。今までの経緯を反芻してみるに、この医師は結果を説明できるだけのコミュニケーション能力がないのが明らかだから。
「ここで手術するなら9月末に枠抑えてあるから。 腹腔鏡やってるところはほとんどないと思うけど、自分で調べて探して。」昨日の言葉を主治医は繰り返した。
「結果は聞きに来ないとダメですか?電話とかでは聞けませんか。私はここでは追加手術はもうしないので。もう・・・ここに来たくないんですけど。」鈴木先生と話したくないんですけど。
「ダメ。電話とかでは言えないルールになっているから。次回は話も長くなるから、治療方針とか・・・・聞きに来てください。」
8月8日に予約を入れて退院した。
精神的にも肉体的にもしんどい入院だった。主治医がもうちょっと一般的水準だったら、精神的ストレスのほうは要らないのかな。
この日は微熱があったのと、苛立ちと焦りで頭が整理できなかったので会社は休んだ。
円錐切除は簡単な手術だけど、そんなに気軽にポンポンやるものでもないと思う。簡単・・・というのは手術する側にとって、シンプルな作業であるというだけの話。受ける側がリスクフリーで楽なわけではない。これを書いている8月中旬の今も動くと出血があり、下腹部痛もあり、ヘモグロビン値もフェリチンも標準値以下のままだ。
(簡単な手術だからどこでもいいとは言わず、病院を選別し、スタッフは事務、看護師、医師の連携がとれたプロフェッショナルな集団であることを確認してからお願いするに限る。医者が切る体はいくつもあるけど、自分の体は一つだから。)
イタリアから帰ってきて、またこの主治医と会わなきゃいけないのか。気が重い・・・。しかも、それまでずっと、不安でいないといけないのか。いやだー。
「結果が出てからでもその前でもいいんですが、一度、部長同席でお話をしたいです。同席じゃないと行きません。」
退院の数日後、母は病院にそう電話をいれた。