わたしがマイナーな イタリア語で歌う 動画をYoutubeにあげるのは何故か。
イタリア人からも日本人からも、何故イタリア語で歌って動画を上げるのかと問われる。
大々的な需要があるんだったら、こういう質問は出てくるはず無いので、ビジネス的な意味でマイナーな言語であるイタリア語をチョイスして歌ってるわけではないのはきっと興味が無い人にも明白。
ただ、キッカケは[需要]だった。イタリア語で歌った動画を上げ始めたのは、イタリアに留学していた頃。日本人がイタリア語で歌う需要ではない。日本人が、ボカロやアニソンをカバーすることの需要だ。
海外に行ったことのない日本人でも知っていると思うが、多くの外国人にとって、日本=アニメ、ゲーム、漫画の国である。
そして、日本はアニメみたいな高い声の、アニメみたいな格好した女性がいてラーメン屋がたくさんあるんだいいなーみたいなイメージが多少なりとも一般に浸透している。
そういうところ、イタリア現地にて、日本人がアニソンやボカロを、イタリア語で、コスプレで歌うというのは、誰もが考えそうな分かりやすい需要であった。
誰もが考えることを、いつかやろうと思い巡らすのと、実際やってみるのとは別物。
イタリア人でやってる人は結構居るけれど、日本人は居ない。「やろうと思う」と言ったり書いたり日本人は結構見た覚えがあるが・・・。参考になる人は居なかった。
歌詞の翻訳というのはやってみると難しい。もちろん私が語学学校で時間にして300時間、期間にして4ヶ月で学んだイタリア語の基盤が相当薄っぺらいのも難易度を上げる要因。
この知識不足にハードルをプラスするのは、そもそもの文化の違いからくるエピソード置き換えの必要があるの歌詞の世界。
西洋の言語から西洋の言語であれば、言葉という観点から見ても、カルチャーという点から見ても、ある程度シンプルかもしれない。
そういう事もわからずに、何がよく分かってないかわからずに、取り敢えず語呂や五感や、迷ったら超限定的な経験からくる勘でフレーズ書いて、歌っていた。
そうして活動するうちに、聴くイタリア人も増え、指摘もされ始める。具体的にフレーズ別に問題点を解説してくたり提案したりする人も居るけれど、大抵は単純に曲単位で駄目だしするだけ。
そういうざっくりネガティブ評をくれたイタリア人のひとりが言ったこと。「フレーズ自体をイタリア語にした時に、イメージが沸かない」
そこで初めて気づいた。
言語的な正確さと共に重要なのが、カルチャーを翻訳すること。元の言語のフレーズが語る雰囲気とイメージとインパクト。それを置き換えるのであって、文章の意味をターゲット言語に置き換えるわけではない。
ターゲットが日本人からイタリア人に代わる。感じる側も置き換えられるのだ。
ということで辿り着いたのが、メインストリームのイタリアン・ポップスに慣れ親しむこと。毎日Youtubeでイタリア語の再生回数が多いポップスをクリックしまくる。
とにかく聴きまくって、どんな表現してるのか感覚的に覚えたい。そういうポップスの歌詞をリスナーがどう思ってるのか、共感しているのか、それとも陳腐だと思っているのかYoutubeのコメントでチェックできる。
というのをやっているうちに、なんだかイタリアンポップスにハマってしまった。いや、やっぱりアメリカやイギリスのポップスに比べたら歌謡曲ちっくでダッサイとは思う。時代と共に進化してる感じもあまり無いし。
でも、イタリア語はオペラだけじゃなくて、ポップスも合う。独特の雰囲気とリズムに、ハマる人はハマると思う。
特にハマったアーティストがAnnalisa。今や私の歌ってる動画は全部Annalisaの曲のボーカルカバー。
単純に、ハマって好きだから歌ってる。今ココ。
歌詞の翻訳がうまくなったかどうかは・・・不明である☆
もともと興味の全く無かったアニソン、もうイタリア語で歌ってないから。
目的が全く達成されないこの感じ。しかしながら、オタクのキモ粘着コメントに悩まされることも減り、この本末転倒な感じは私にとっては最良の結果となった。
斯くして、日本に住む日本人なのに、イタリアの最新ポップスをカバーする変人としてYoutubeに上げる日々は続くはず。
聞く人に言わせると、発音や歌自体はどんどん良くなってるらしいので、成長記録としても、動画を通して見た目の劣化記録としても、意味をなしてくるに違いない。